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毎年、書初めの指導は僕の役割です。
今年、中二の次男の書初めは「自然の神秘」を書くという。 書き初めるにあたり「どんな神秘?」と聞くと、 「葉っぱとかがキラキラしている感じ」と答えた。 その光景をイメージしながら書いたのがこちら。 左利きながら達筆です。 |
来る11月15日(日)「ホームムービーの日 in 安曇野」の開催が決定しました。安曇野での初開催となります。昭和30年代から50年代の安曇野の風景を8㍉フィルムの映写機を使って上映します。ご近所の方はもちろんご興味のある方、是非お立ち寄り下さい。世代を超えて楽しんで頂ける時間にしたいと思っています。上映会をサポートして頂ける方もお声がけ下さい!どうぞよろしくお願いします。
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大変ご無沙汰しております。
会社勤め10年フリーランス10年を経て20年目の今年、 ようやく会社を設立しました。 澄んだ空気と清らかな水、豊かな大地に恵まれた安曇野を拠点に 全国で活動する映像制作会社です。 北アルプスを望むこの地にちなみ、アルプスピクチャーズと名付けました。 これまでの経験を生かし、これからの時代に向けた映像を作っていきます。 どうぞよろしくお願い致します。 ホームページも公開となりました。 是非ご覧下さい。 (Click!) |
最終日。いよいよ出発。
駅までのバスに乗るために早めの朝食を終え宿を出ると、 丘の上から知った顔が手を振っている。 「駅まで送りますよ」と。 藤野在住の角野さん。 数年前に藤野に移住してものづくりをしながら暮らしている。 我が家も藤野への移住を本気で考えていた時期があったので、親近感が沸く。 お言葉に甘えて駅まで乗せてもらい出発を見送ってもらう。 気持ちよい1日のスタート。 今日は出発から間もなく大垂水峠が待ち構えている。 体力のあるうちに足を進める。 相模湖駅近くの高速道路を跨ぐ形で鎮座する神社で休憩をはさみ、 峠へ向けてどんどん走る。子供たちが先に進み、親たちが二人を追う。 トラックの排気ガスが酷い。これまで走って来た道のりで一番空気が悪い。 母ちゃんは手ぬぐいで口元を覆っている。 険しい坂道を走る、走る、走る。 父ちゃんの膝も調子がいい。 昨晩しっかりとアイシング出来たので功を奏している。 テンポ良く走っていると、思っていたよりも早く大垂水峠(392m)に到着。 やっぱり峠越えは嬉しいもの。 4人揃って峠をスタート。そこからは一気に下り坂。 前へ前へ、軽快な足下のリズムを止めずに駆け下りる。 早春の空気、眩しいくらいの日差しが気持ちいい。 坂を下りきった高尾山口の蕎麦屋高橋で昼食。 峠を越えた安堵感からか、すっかり気が抜けてしまう。 ゴールまではあと25キロはある。 昼食後はゆるゆると中央線沿いを歩く。 なかなか走り出せない。のんびりと、のんびりと。走ったり歩いたり。 廉太郎の足裏も痛み始め、母ちゃんも苦しそうだ。 |
八王子を過ぎたあたりからようやく走り始める。
時間ばかりが過ぎていく。日野駅でたい焼き休憩。 気持ち新たに走り始め、暫くすると沿道から「こんにちは~」。 この旅をFaceaBookで応援してくれていたパーマカルチャー塾の同窓生が待ち受けていた。 差し入れに一房ずつ剥いたオレンジをみんなで頂く。 こんな形でいろんな人たちにサポートしてもらえて嬉しい限り。 なかなかこんな経験は出来るものでは無い。 ちょっとした思いつきから始まったこの走り旅も、多くの人たちを巻き込みながら成り立っている。 応援してくれている人の中には「今度安曇野まで自転車で行くことに決めました!」と言う人も居た。 駿平との卒業旅行がこんな形で展開するとは思いもよらなかった。 映画の中を駆けている気分だ。 次から次へと現れる人たちに支えられてきた旅。 6日間の道のりを振り返りながら、残された道を走っていく。 日没までにはゴールするつもりでいたけれど、 いつの間にやら日はとっぷりと暮れてしまった。 ゴールまであと1キロというところで従兄弟の家族が合流。 最後は駆け抜けたいとの思いで、無い力を絞り出して走る。 残り100m、50m、30m、20m、10m、、、 最後の角を曲がると、親戚一同がゴールテープを掲げて待っていた。 |
ゴーーーーーール!!!!
駿平と一緒にゴールテープを切った。 6日間に渡る長い長い旅もこれにて終了。 すでに日は沈んでしまったけれど、4人が無事にゴールすることが出来て本当に良かった。 応援に駆けつけてくれた皆んな、FaceBookで応援してくれた皆んなに感謝。本当にありがとう。沢山の勇気を頂きました。感謝の気持ちでいっぱいで涙が溢れてきます。最後の2日間を一緒に走ってくれた廉太郎、最終日に合流した母ちゃん、一緒にゴール出来て良かったよ。ゴールで待ちかまえていてくれた従兄弟のみんな、じいじばあば、珠ちゃん、応援ありがとう! 駿平、最後までよく走り切ったね。全行程240キロの卒業旅行。誰もやったことの無いこの無謀とも言える旅は父ちゃんにとっても大きなチャレンジでした。毎日フルマラソンを走っているようなもんだからね。 駿平の背中を押していこうと走り出したこの旅も、気がついたら父ちゃんが背中押されてた。父ちゃんの膝の故障で思うように走れなかったけれど、いつも笑顔で居てくれたことが嬉しかったよ。 この旅が父ちゃんと支えてくれた皆んなからの卒業祝いです。 最高の旅だったな!駿平、格好良かったぞ! 小学校卒業おめでとう! |
朝食を済ませスタート。
膝が痛むので、しばらくは歩くことに。 今日の行程は32キロほど。 基本的に川沿いに下っていくコース。 舗装もされていない裏道を走っていると、 鉄道マニアがカメラを構えてあちこちに場所を陣取っている。 話しかけると、「ディーゼル機関車が2両連なって走るんだけど、 後ろの機関車は故障しているのでパンタグラフが下りて走ってくるんですよ。 珍しいですからねえ、こういうのあんまり見ることが出来ないんですよ。」と。 廉太郎は走りながら「へ~ただの鉄の塊なのにね」と全く電車への関心は示さない。 10分ほど過ぎた頃、その珍しい機関車が通り過ぎた。 知らなければただの機関車。マニアにとってはとても貴重な瞬間。 知らないと理解出来ない世界だ。 父ちゃんの膝は痛みがピーク。 子どもたちも父ちゃんにあわせてのんびり歩く。 とはいえ、走り旅、なのだから走りたい。 せめてもの思いで競歩のごとく走り(歩き)始める。 これがなかなかいい。軽いジョギング程度のスピードが出ている。 トイレ休憩する二人を置き、先に歩みを進める。 なかなか追いついて来ない二人。調子がいい。 何キロ走っただろうか。 ようやく追いついた二人も「父さん早いよ」と息をきらす。 調子がいいのも束の間。痛みが増してきたので歩きに戻る。 定食屋で昼を済ませ、ゴールの藤野を目指す。 |
四方津駅で休憩。
母ちゃんと珠ちゃんが乗った特急あずさが通り過ぎるので、 道ばたから見届けようと、タイミングを見計らっていた。 けれども国道と線路が着いたり離れたりしていたので、 結局見逃してしまった。 汗もかいたので、コンビニでアイス休憩。ゴールまで残り僅か。 相模湖の桜は八分咲き。 湖畔を歩き、最後の山道を抜けて藤野駅へやっとの思いで到着。 父ちゃんの膝を気遣いながらスローなウォーキングの一日だった。 駅で明日一緒に走る母ちゃんが合流。 宿での夕食を済ませ、明日の支度をしていると、 藤野在住の友人からメール。「藤野に居るんだ。何か必要なものある?」と。 「膝が痛むので氷を持って来て欲しい」と返事したら、 しばらくして、娘たちと現れた友人。 大量の氷を持って来てくれました。感謝。 夜は痛めた膝をガンガンに冷やして翌日に備えました。 残すところあと1日。何としても自分の足でみんなと一緒にゴールしたい。 駿平の卒業旅行なのに、いつしか父ちゃんが励まされる旅になってしまっている。 |
能成寺で起床。
ご住職さんと共に朝食を頂く。 こちらのお寺には海外の方が来ることもあるそうで、 「英語を話せるようになった日本人は増えたかもしれないけれど、 外国へ行くにしても日本人としての教養や生きていく上での考え方など、 その人なりにに考えを持っていないといけない。 英語はあくまで道具であって、道具だけ持っていても何にもならない。 人としてしっかり立っていないと。」と。 朝から息子と二人いい話を伺った。 朝食を終え部屋で出発の支度をしていると、ドンドンドーン、と花火の音が鳴り響いた。 駿平が庭に居た住職さんに「今のは何ですか」と聞くと、 「駿平くんを送り出す祝砲だよ」と、笑顔で答えてくれました。 お寺の玄関には「花も美しい 月も美しい それに気づく 心が美しい」と 隅々まで気の行き渡ったお寺に相応しい言葉が掲げてありました。 出発前に本堂前で記念写真。 お別れの握手を交わし走り出す。 振り返ると遠く小さくなって見えなくなるまで見送ってくれていました。 望月さん、能成寺のみなさん、とても素晴らしい時間をありがとうございました。 また必ず遊びに行きたいと思います。 日曜日ということもあり、交通量も少なく静かな街を走り出す。 411号を走っていると前から真っ赤なスポーツウェアをまとった友人工藤氏が登場。 今日1日一緒に走ってくれることになっていた。 膝の痛みを我慢しながら、ゆっくりと走る。 そしてFaceBookを見て走りたくなった、 という大学の友人の旦那沖村氏も合流。午前中一緒に走ってくれるという。 頼もしい味方に囲まれ楽しいランニング。 |
笛吹川の土手を走り、勝沼ぶどう郷のあたりでは、ぶどうの香りが漂ってくる。ワインの試飲も出来るお店があったが、流石に手は出せない。お喋りしながら足を進める。甲府盆地を背に坂道を登っていくと20号に合流。
盆地から山間へ景色は一変し、口数も減ってくる。 そうこうしているとお昼になったので食堂を探す。 日曜ということもありどこも閉まっている。 峠越え前に腹ごしらえしておかないといけない。 遠回りになるが、甲斐大和駅まで足を伸ばすことに。 けれども駅前の山崎パンも定食屋も日曜休業。途方に暮れていると、 「営業中」の札が出た中華屋さんを発見。 「やった~」とみんなで歓喜。 お昼ごはんにありつけたことが本当に嬉しい。 そしてこの時に食べた塩味の効いたイカ下足の味に皆感動。 食卓を囲んでご飯を食べることが出来る幸せを噛み締める。 午後予定のある沖村さんを送り出し、笹子峠を登り始める。 左右に曲がりくねった県道。近道出来るところはショートカット。 中央高速を眼下に眺めながら、田舎道を歩くような速さで進む。 梅畑の中を歩いていると、何かがおかしい。いくら旧道といえども、 こんなに狭い道なのか? 携帯で地図を検索するとこの先は行き止まり。 ショックを受けながらも、歩き始めたところへ引き返すしか選択肢は無い。 昨晩、登山経験豊富な望月さんとの会話の中で、 「近道があっても正規のルートを進まないといけない。 ついつい近道したくなるけれどそいういう時に事故が起きる。」と話していたばかりだった。 言葉で聞いていてもなかなか実感として落ちていなかったことを反省。 再度、気持ちを入れ替えて県道を進んでいく。峠まで6.2キロ140分の表示。 空は曇り空。一旦は雨マークの消えた天気予報だったけれど、午後から雨の予報に戻っていた。 早川町の池田夫妻から「雨大丈夫?」のメール。 時折顔に雨粒が落ちてくる。返信する余裕も無く、とにかく進む。 すると、道路を塞ぐゲートが出現。 「全面通行止」 冬期期間中は一般車の乗り入れが全面通行止めとなっているのだ。 こちらは車では無いのでそのままスルー。 ゲートを抜け、木の枝や落石などが散乱している212号を登り始める。 体力的には余裕があるものの、膝の痛みは増している。 ゆっくりとゆっくりと誰も居ない県道を走る。 静かな道は、多少辛くても緑を楽しみながら走ることができる。 峠までの道のりを半分残していた頃に小雨が降ってくる。 県道から分岐して登山道の入り口が現れた。 地図には出ていないが、峠への近道であることは間違いない。 ただ、冬期は誰も入っていない道なので、歩ける道なのかどうかわからない。 少しでも早く峠を超えたい。雨も降ってきた。先ほどの反省もあるので迷ったけれど、相談して山道を進むことに。 登山道の入り口こそ木の階段があったけれど、すぐに獣道のような細い山道になってしまった。遠くに近くに見え隠れする212号線。 雨足が少しずつ強くなってくるが、森の中なのでさほど気にならない。 いつしか携帯は圏外になってしまった。誰も頼ることの出来ない状況に不安が募る。 3人の口数も少なくなり黙々と前へ進む。 すると、突如目の前に現れた舗装道路。「よしっ!」 これでようやく元の道に戻れる。 ガードレールに峠まであと0.6kmの表示。 随分と進んでいた。 喜びと共に峠まで3人全速力。 峠に着いた時の喜びはひとしお。 雨が振っていても全く気にならず3人ハイタッチ。 この旅の最難関の峠を制覇した喜びを分かち合った。 |
峠のトンネルを通り山を下っていく。
心も軽く飛ぶように走っていく駿平と友人。 僕は膝が痛むのでマイペース。 下る途中に立矢の杉という杉の大木が聳えていた。 存在感があり、木の袂で小休止。 昨日頂いた差し入れのオレンジを味わいながら平らげ再スタート。 下りは早い。登る時間の5分の1にも満たないだろう。 あっという間に国道に出る。そこからは国道沿いを走っていく。 あと少し、あと少し、と思いながらもなかなか初狩駅は見えて来ない。 痛みから一秒でも早く解放されたい思いから、 足取りは早くなっていく。 6キロ、5キロ、4キロ、、、 ようやく見えて来た初狩駅の看板。 2キロ、1キロ、500メートル、、、 ゴール!!!! 国道を1時間以上走ることになってしまったが、 ゴールの初狩駅に辿り着いたときは本当に嬉しかった。 これまでに無い達成感。3人無事ゴール出来て感無量。 駅前の宿に入り風呂で汗を流しビールで乾杯! 伴走してくれた工藤さん、ありがとう。 長く辛くもありましたが、それ以上に素晴らしい一日となりました。 食事前には明日から一緒に走る廉太郎が合流。 また心強い味方が現れました。 |
8時スタート。
南アルプスを右手に、左後方に八ヶ岳を見ながらの下り坂。 朝の空気が冷たく、上着を1枚余分に着込んで走り出す。 かっ飛ばして行きたい所だが、両膝が痛むので、ゆっくりペース。 昨晩洗濯した着替えが乾いていなかったので、コインランドリーで乾燥機にかける。 すると宿から電話が鳴る。「忘れ物があるよ~」と。 今更戻る訳にも行かないと思っていると、「今どこ?これから韮崎行くから車で届けてやっから~」と。 ありがたい。今居る場所を伝え、衣類が乾くのを待ちながら宿の人も待つ。 その間、駿平と俳句ごっこ。 「疲れたな 元気にゴール 出来るかな?」 など適当なことを言っていると、駿平は、 「さみしいな たまには家族に 会いたいな」と。 笑顔でいるけど、本音が垣間見える。 そうこうしていると宿のご夫婦が到着。忘れた充電器を受取る。感謝。 気持ちを入れ替え甲州街道の旧道や古道を抜けていく。 舗装すらされていない道は、トレイルランさながら。 ぶどう畑を抜け、田んぼを抜け、森の中を抜けていく。 梅はあちらこちらで満開。桜の蕾も膨らんできている。 韮崎に入ると、3年前に早川町という山梨の山奥に家族で移住した大学時代の友人が沿道で待ち受けていてくれた。 走り始めたことをFaceBookで知り「近くだから何か差し入れにいくよ」と言っていてくれていた池田夫婦。 近く、と言っても車で1時間以上走らせて来てくれている。 常識の距離があまりにも違うので笑ってしまう。 果物のリクエストをさせてもらったらバナナ、オレンジ、カットパイン、水の差し入れを頂く。 疲れた体に甘みが染み込んでくる。ありがたい。嬉しい、本当に嬉しい。 |
奥さんは5月に4人目を出産予定。そんな身重な体にも関わらず応援に駆けつけてくれた。
6日間の長旅の中、こういった気持ちを受け取れることは二人の大きな支えとなる。 ありがとう。勇気を頂きゆるやかに再出発。 韮崎の駅近くでパンを購入し休憩。ここからは街の中を走っていく。 整備された広い歩道。商店街沿いに足を進める。 日差しは強くなって来ている。時折入る応援メッセージ。 その中に駿平と同じ野球チームの友だちの母親から、 「今どこ?一緒に走りたいって子供が言ってるから今から行くよ。」と。 安曇野から高速飛ばして1時間半。早朝からのトレーニングと野球の練習で疲れた体にも関わらず、駿平と走りたい、という思いだけで飛んで来てくれた。 本日の行程を10キロ残した塩崎駅近くでモリスファミリー到着。 駿平の表情が一気に晴れ上がる。 車から駆け下りて来たモリス兄弟。新中1と新5年と5才。 5人の大所帯となって走りはじめる。荷物は車に積んでもらった。 乗って来たモリス夫婦と0才の末っ子は車を走らせコンビニの駐車場ごとに給水してくれる。 普段は基礎トレーニングを教えるトレーナーなので、その辺り抜かりない。 賑やかに走っていると疲れも飛んでいく。 |
三男レンくんは5才にも関わらず8キロを走破。
これから先大物になりそうです。 大都会甲府を走り、この日のゴール地点の甲府市役所にゴール。 入念なストレッチをして本日の行程終了。モリス家はこれでさようなら。 長旅の中、駿平にとっても僕にとっても本当に勇気づけられた時間でした。ありがとう! 甲府市役所で藝大の山岳部のお世話をしてくれている望月さんと待ち合わせ。 近年はキリマンジャロなど5~6000m級の山々を登っている登山家でもある。 この日の夜の宿泊先がどこもいっぱいなので宿泊の相談をしたところ、友人のお寺を紹介して頂いていた。 温泉に入り甲州ほうとうを頂いた後、甲府駅から少し離れた能成寺へ。 澄んだ空気の境内を通り大広間のある建物へ通される。 望月さんの小中高の同級生でもあるご住職は、とても気さくに僕らを迎え入れてくれた。 こちらのお宅も4人こお子さんがいらっしゃり、我が家と同じ男女構成。 大学3年生になる三男と奥様も話に加わり、お茶を頂きながらしばし歓談。駿平にも笑顔が戻る。 この日応援してくれた池田家、モリス家、能成寺の樋口家。 我が家と共通するのは皆4人の子育てをしているということ。 (池田家は5月ですが) 面白い巡り合わせです。 夜は望月さんにお借りした寝袋で就寝。 多くの方々に支えられながらこの旅が成り立っているんだと実感した一日でした。 |
8時スタート。
温泉街を抜け20号をひた走る。アップダウンを繰り返し、 廉太郎との自転車旅行で昼寝をしたJRの線路の脇の土手で小休止。 茅野の駅を経由し県道を走る。静かで走りやすい。 今日の行程の3分の2は登り坂。 無理せず一歩一歩、途中で歩道が無い所もあるが、 出来るだけ安全な状況を選びながら走っていく。 コンビニで休憩。母ちゃんに渡された梅干を口に入れる。 旨~~~い!!! 体がリセットされる感じがする。 緩やかな登り坂のジャブが効いてくる。 11時を過ぎた頃から、二人とも気力が無くなり、 とぼとぼと歩く。富士見駅到着。 駅に近いそば屋を紹介してもらい出向いたそば屋は、 腰がまがったおばあさんが一人で営んでいた。 二人でせいろを5枚完食。コシの効いた美味しい蕎麦だった。 元気を取り戻した二人は再び走り始める。 富士見峠を緩やかに超え、下り坂に転じ、いいペースで走る。 暇なのでしりとりをしながら走る。 食べ物しりとり。 父「りんご」駿「ごま」父「麻婆豆腐」駿「フキ」・・・・ ずいぶんと切れずに続いている。そして、 父「お子様ランチ」駿「チャーハン」 「ん・・・???、父ちゃんの勝ち~~~!!!」 と決着がついたのでした。 |
そうこうしているうちに白州に到着。
サントリーのワイン工場に着いたのが3時17分。 工場見学は終わっていたので、博物館を見学。 展示されたサントリーリザーブの広告に黒澤明の姿。 「観たひとに 一生影響を与えるような そういう映画を 僕はつくりたい。」という言葉を胸に刻む。 サントリーの近くの白州の宿は、年配の気の優しそうなご夫婦が笑顔で迎えてくれた。この旅の出発前、この近辺の宿泊予約のために検索した宿に電話を入れると、「高齢の私一人で切り盛りしていていてもう大変だから、仕事は辞めたんだよ」 「今の時期はお客さん来ないから今名古屋に来ちゃってるの」 「あそこの宿の婆さんも随分前に仕事やめてるよ」 と、なかなか宿の手配ににも苦戦したのでした。 こうして暖かく迎え入れてくれて嬉しい。 初日比べれば随分と楽な道のりだったけれど、 体への疲労は確実に蓄積されてきている。 夕食を終えて明日の身支度をすると、 すぐに深い眠りに落ちていきました。 |
いよいよ東京まで走っていく卒業旅行のスタート。
昨晩遅くに東京から車で戻って来たので、 十分な支度が出来ているとは言いがたいが、とにかく出発。 あとは行く先々で解決すればいい。 午前7時半。妻と珠希に見送られ家を出発。 穂高駅、穂高神社を通り小川沿いに走り始める。 ばったりと野球の監督と遭遇。 これからのの旅の行程を話したら驚いていた。 そりゃそうだ。こんな無謀な卒業旅行は聞いたことが無い。 国道は車通りも多いので、裏道を選び、 出来るだけ景色のいいところを走ることにする。 スイス村から松本を抜けるまで犀川沿いを上流に向けて走る。 途中から犀川の名前は奈良井川に名前が変わったようだ。 それにしてもこの辺りの川の名前は良く変わる。 おおざっぱに言うと、梓川と奈良井川が合流して犀川になり、 犀川が千曲川と合流し、新潟に入ると信濃川に名を変えて 日本海へ流れ込む、ということらしい。 犀川から奈良井川沿いは静かで国道よりも気持ちのいいコース。 サイクリングロードが整備されている場所もあり、 安曇野らしい景色の中を走っていくが、 その分遠回りを強いられてしまうことに。 常念岳を背に走っていたと思ったら、 いつの間にやら正面に聳える常念岳。 あれ?と思いつつも日没までにゴール出来ればいいのでのんびりと進む。 |
1時頃、お腹が空いたので中華ラーメン屋で昼食。
疲れが見えてきた駿平の顔がほころぶ。 先の見えない旅に、緊張を強いられていたと思う。 昼食を終え、ようやく辿り着いた20号。 ここからが今日の本番。塩尻峠を登り始める。 3年前、廉太郎と自転車で走った道。 右へ左へとカーブしていく登り坂を、一歩一歩進んでいく。 汗も滲み出て来て体力も消耗する。 少し進んでは給水、また進んでは給水を繰り返す。 FaceBookに応援メッセージが次から次へと入ってくる。 壮大な計画を立てていたつもりでは無いけれど、 こういった反応は嬉しいものだ。 駿平にもメッセージをその都度伝えていく。 |
坂道は進めど進めど終わらないが、駿平の足取りは軽く、
父ちゃんの視界から遥か彼方遠くに行ってしまうが、 離れたかと思うと、今度は父ちゃんが追いつくのを笑顔で待っている。 その繰り返し。 道のあちらこちらに残雪も見える。 先々を塞いでいた空が広くなってきた。 あの先こそ峠だ!二人の足取りが軽くなる。 午後3時22分。やっとの思いで塩尻峠に辿り着くことができた。 標高差約500メートル。標高1012m。 車で走ればあっという間かもしれないけれど、 走ってとなると訳が違う。頂上でしばし達成感を噛み締める。 そこからは一気に下り。痛み始めた右足をかばいながら下りていく。 リンゴの販売所で休憩。 60円のサンフジを1個購入し、その場で頂く。体に染み込む。 「上諏訪まではあと2時間はかかるなぁ」と。「え、2時間?」 坂を下りたら諏訪湖、そして上諏訪とすぐに着くものと思っていた。 改めて携帯で地図を検索すると、残り10キロ。まだまだ先は長い。 とはいえ、峠を越えたので気分は少しばかり軽くなっている。 諏訪の町では、狭い道の側溝の蓋の上を走っていく。走りにくい足下。 ちょっとよそ見した瞬間に駿平が転倒。 後ろを走っていて、あっと思った瞬間に倒れたので成す術もなかった。 けれども受け身が良かったのか、擦り傷も無くひと安心。 この町中で父ちゃんも何度か躓き、あわや転倒となりそうだったが、 何とか持ちこたえることが出来た。 諏訪湖に出てゴールするまでは快適なジョギングロード。 日が随分と傾き、宿に着いたのは午後5時半。 長い長い1日が無事終えられたことに安堵。 風呂に浸かり体を休め、晩ご飯。 メニューはスキヤキ。普段は食べない食事だけれど郷に入らば郷に従え。 美味しく頂きました。部屋に戻り翌日の支度。 布団に潜ったらあっという間に深い眠りについてしまいました。 |
廉太郎第一志望校合格!
待ちに待った合格発表。 嬉しくって父ちゃん涙が出ました。 最近めっきり涙もろいです。 本人曰く「本気出したのは最後の1週間だけ」だそうです。 学校帰って来たら昼寝。 塾から帰って来たらラジオばかり聴いていた1年。 大丈夫かなあ、という親の不安をよそにやってのけました。 高校では思いっきり思いっきり楽しんで学んでほしいです。 合格おめでとうっ! 我が家にも遅い春が来ました。 |
駿平、小学校を卒業しました。
震災後に引越して来た時は3年生でした。 5年生で児童会長に選ばれ、 1年間、学校を楽しくしようとみんなを引っ張ってきました。 大変な思いもあったと思うけど、 誰よりも小学校生活を謳歌したと思います。 それがもうすぐ中学生。 卒業式では松本の学校へ通う駿平は一人だけ学ラン。 前の日に「卒業式は一人だけ学ランじゃ恥ずかしい。 みんなと同じブレザーを着たいからお兄ちゃんのを借りたい」 と言っていた駿平。けれど「誰も服なんか見てないよ。自分が行く学校の制服着ていけばいいじゃん」と兄ちゃんに一蹴され学ランで登校。 帰り際、友人たちに「駿平がんばれよ〜」とエールを送ってもらっていました みんなに応援されて良かったね。 卒業おめでとう! 中学生活も思いっきり楽しもうね。 |
空を眺めて深呼吸。
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マラソン大会で優勝したお祝いに、
母さんがナンバーワンのケーキを作ってくれました。 駿平、薫月、おめでとう! |
マイケルジャクソン聞きながら、
歌詞を熟読する廉太郎。 グランドに着くまでのささやかな楽しみです。 |
サツマイモと小豆の炊き込み御飯。
美味しく頂きました。 |
毎日の散歩から一日が始まります。
外に出て交感神経を刺激。 朝の空気が一番気持ちいいです。 |
霧の中の太陽。
月のように見えます。 幻想的な朝です。 |
早朝、ユキちゃんの散歩。
辺り一面、白く凍っています。 |
投げて打って、打たれて負けて。
全力でやっていれば、それだけでいいのです。 |
週末、子供たちと過ごす束の間の時間。
笑顔に元気をもらいます。 |
水を汲みにいつもよりも山奥へ。
この先に常念岳へ登る登山口があります。 次に登るのはいつになるかな。 |
安曇野市の柔道大会が行われました。
駿平と薫月が団体戦と個人戦にそれぞれ出場。 駿平個人戦。初戦の相手と互角に渡り合い引き分け。 くじ引きで勝者を決めるそうで、残念ながら負けとなってしまいました。 くじ引きで負けても負けは負け。 悔し涙を流す駿平でした。 団体戦は、個人戦が振るわなかった穂高チームが気を引き締め直しいい試合運び。 そして勝利を重ね、団体優勝! みんな凄いなぁ。 |
暗闇の中、石柱の上に立つ陰。
さて、正体は誰でしょう? |
「変な顔するね」
と薫月。 「あっそう」 とシャッター切りました。 |
珠ちゃんおはよ。
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月ではありません。太陽です。
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毎度、大好きな夜明けです。
おはようございます! 廉太郎はユキちゃんと朝の散歩。 二人、仲良しなんです。 |
薫月、安曇野市の柔道大会で優勝しました。
芯の強い薫月。 やる時はやる男です。 おめでとう! |
霧の向こうに白く雪を冠った北アルプスが見えます。
いよいよ冬到来です。 |
廉太郎、筆記体の練習。
小文字の「s」とか「r」って、コツを掴むのが難しかったことを思い出しました。 |
部屋の気温も低いので、
お味噌汁の湯気がモクモクと立ち上がります。 |
寝起きから絶叫の珠ちゃん。
お〜は〜よ〜〜! |
この冬、はじめてペレットストーブに火が着きました。
寒い土地に住んでいると、 「火は小さくてもあたたかい」という 倉本聰の言葉が身にしみます。 |
畑に残った大豆たち。
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氷点下。我が家の畑も凍ります。
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仙台へ行ってきました。
復興庁が募集していた「新しい東北」企画に大学から応募したところ、採用が決定しました。 被災地を中心にかつて営まれていた東北の景色を映像を通して復元していくプロジェクト。 これまでに地域映像アーカイブで培ってきた方法論を東北で実行することになり、まずは仙台へ視察。 目的はこのプロジェクトに協力していただく20世紀アーカイブ仙台との打ち合わせ。 午前中はNHK福島で311の津波の映像を空撮で撮っていた鉾井くんに同行頂き、 仙台の沿岸部の被災地を視察しました。 仙台駅から車で20分ほど。 かつては賑やかだった街も、津波で全てを失ってしまいました。 地方ナンバーのダンプが行き交う道を海の方へ向かいます。 車で走れども走れども不毛な土地が広がるばかり。 震災後、東北を訪れるのは2度目ですが、被災地に足を踏み入れたときの空虚感は2年前も今も変わりません。 荒浜地区の一角に写真が飾られていました。 震災前と今を映し出した写真の数々に言葉を失います。 当たり前の暮らしがどんなに大切かを写真を通して伝わってきます。 自然の驚異を前に人間はなんと小さいのか。 この海の向こうから抗うことの出来ない波が押し寄せたことを想像します。 かろうじて残された防風林も風にさらされています。 閖上地区も街そのものが失われてしまった土地。 小高い山の上にあった神社も流されました。 住んでいた場所に被災者が戻ってきた時、心安らぐ場所であって欲しいと、 ボランティアの方々が雑草をとりその土地のまわりに花を植えていました。 「閖上の記憶」と書かれたプレハブの建物に入ると、 そこは、子供たちの心のケアをしながら震災当時の様子を語り継ぐ場所でした。 20分ほどのVTRには、閖上の人々の復興への絶え間ない取り組みが紹介されていました。 午後は仙台の方へ戻り、荒浜地区の被災者住宅の一角にある集会所で、 「昔を語る会」が行われるというのでお邪魔してきました。 20世紀アーカイブ仙台が主催するこの会は、心理療法でも注目されている「回想法」を生かした8ミリの上映会です。 洗濯板などの古道具を見せながら、昔の記憶を呼び覚ましていき、当時の暮らしぶりを思い出してもらいます。 出てきた言葉をライターさんが書き記し、この地域の記録として本を出すのがこの会の目的だといいます。 地道で労力のかかる作業ですが、大切な仕事。 東北に関わっていく以上、こういった姿勢を見習っていこうと思います。 上映会終了後、事務所に場所を移しミーティング。 このプロジェクトの方向性が少しづつ現実的に見えてきました。 東北と正面から向き合い、このプロジェクトを成功させようと心に決めた1日となりました。 |
満願寺のあたりも紅葉まっさかりです。
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珠ちゃんバイオリンを習いはじめました。
子供サイズのバイオリンはおもちゃのようですが、 ちゃんと音がなるんです。 いつかキレイな音色を響かせてくれる日を楽しみにしています。 |
温泉のあと、七色カエデを見に行きましたが、
紅葉の時期は過ぎてしまっていました。 ちょっとした散歩に気持ちいいところです。 |